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HAPPY NEWS 2017
ハッピーニュース

最良の年

中日新聞 2017年6月23日付朝刊を読んで

飯田 尚子さん (滋賀県:53歳)

 

筆者が私と同じ滋賀県出身ということが目に留まり、読みました。81歳で亡くなられた認知症のお母さんが、自分の年を23歳と言い、最後の10年くらいは23から年をとらなかったと書いておられました。お母さんの遺品を整理する中で見つけた色あせたアルバムには、幸せそうな若い男女の写真…キャプションを見ると写真はどれも昭和31年。「この秋に僕が生まれた。母が23の年のことだった」と締めくくられていました。胸がキュンとしました。お母さんにとって、人生バラ色の23歳が焼きついていたのでしょう。私も今年、53歳。もうすぐ結婚30年。海へ行ったり、山に登ったり、夫との思い出多き婚約時代。私もこの時23歳。万が一、認知症になったら、きっと私も永遠に23歳と言い続けるだろうなと思いました。

須田亜香里さんのコメント

思い出ってどうしてもつらかったことが深く残ってしまうものだと思っていました。だから、自分の両親も幸せな思い出をちゃんと心の引き出しにしまっていてくれたらいいな、と気付けば親の姿を重ねていました。

須田亜香里(SKE48)

記事本文

大学進学で上京以来、四半世紀近くを過ごした東京から、僕が故郷の滋賀に戻ってきた理由は、ひとことで言うと親の介護のためだ。

子どもは他にも三人いたが、全員家を出て、ほかの土地に生活拠点を持ってしまったから仕方ない。二人きりで暮らしていた両親が、ほぼ同時に生活に支障が出るほど覚束(おぼつか)なくなってきたとき、とりあえず勤め人ではなく、親兄弟含め親戚一同には怪しげな物書きとしてしか認識されてなかった僕が動く羽目になった。ついでに言えば長男だったし。

もちろん介護なぞまったく初心者で、故郷に帰ったはいいが、両親に対しては最初から腰が引けていた。さらに自分の生活を維持する程度の仕事も続けねばならず、同居という選択肢は最初からなかった。隣の町に家を借り、実家に通って見守れば当面は安心だろう。その程度の認識で始めた介護だった。

思えば僕はあの頃の両親の状態を、もっと言えば介護そのものを舐(な)めていたのだ。帰郷して八カ月たった十月のある日、父は実家の前の道路で事故死した。僕が甘党の父に団子の詰め合わせを買って、車で実家に向かう途中の出来事だった。

認知症患者の危うさに震え上がった僕は、母のために施設を探し始めた。滋賀でも特養などは何年待てば入れるかわからない状態だったが、幾つかの偶然が重なり、市内のグループホームに父の死から一年あまりで入所できたのは本当に幸いだった。実際、数カ月もすると母は家にいた頃より落ち着き、僕自身も精神的な余裕が生まれてきた。母に限らず認知症の人との接し方も、ホームに通う中で自然と学べたのはありがたかった。

たとえば母が妄想的な思い込みを語ると、最初、僕はそれをいちいち訂正し、記憶違いを正そうとしていた。でもそれはほとんど無駄な行為で、互いにストレスがたまるだけ。むしろ母が楽しく会話を続けられるような応答を心がける方が、はるかに有益だと知ったのはスタッフのおかげである。

毎年、母の誕生日にはちょっとした贈り物を持って会いに行った。お母さん、今年で幾つ?

と聞くと母は小首をかしげ、少し考える顔をしてから「忘れたんかいな。お母さんは今年二十三や」と答える。僕は苦笑し、え~すごいなあ、お母さんそれ、僕より若いで。と言うと、母は少し自慢げな顔をした。母は八十一でその生涯を終えたが、最後の十年くらいは二十三から年を取らなかった。

母が死んで三年たつ今年、空き家同然だった実家を改修して住むことにした。春先から半ばゴミ屋敷と化していた実家に通い、大量の荷物を分別したが、中でも処理に困ったのが数万点はありそうな写真やアルバムの類い。カメラ好きだった父は、保育園の園長などをしていたものだから被写体に不自由しなかった。いまではどこの誰かもわからない園児たちの写真が、山ほど残されていたのである。

中に母が結婚前の写真を集めたらしいアルバムが出てきた。台紙に貼り付けた写真の横に、手書きのキャプションがつけてある。退色しかけたモノクロ写真で一緒に写る若い男は父であった。写真の中の二人はボートに乗ったり、海岸で肩を並べたりして納まっていたが、この写真で見る母は少し照れたような、しかし幸せそうな表情をしていた。キャプションを見るとどれも昭和三十一年。

この秋に僕が生まれた。母が二十三の年のことだった。

    ◇

たに・はるたか 1956年、滋賀県生まれ。日本大新聞学科卒業。大学を出てアルバイトを転々とした後、つなぎのつもりで入った出版社で約6年の編集者生活を送る。劇画誌編集長などを経て独立した後は漫画原作者として現在に至る。3月に初めての時代小説『さなとりょう』を出版した。

この記事・写真等は、中日新聞社の許諾を得て転載しています。