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2016.12.02 update.

小さく生まれた子―自立の道へ

信濃毎日新聞社 | 2016年6月21日掲載

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この春、特別支援学校の高等部を卒業した安曇野市の赤羽勁哉(けいや)君(18)が、市内の企業で働き始めた。12年前、県立こども病院(安曇野市)の連載の取材で出会ったとき、小学校の入学式で一人だけ後ろを向いて座っていた赤羽君。小さく生まれて、弱視、中度の知的障害、腸の障害などのハンディを抱えながら、少しずつ自立の道を歩もうとしている。彼の今を知りたいと、職場を訪ねた。

(井上裕子)

<「どう接したら」周囲も時間かけ>

午前8時半に自宅を出て、歩いて約20分。菓子製造販売「丸山菓子舗」の工場に到着し、白い帽子と作業着、マスクを身に着けて仕事に入る。調理器具や菓子のケースを洗浄機にかけ、洗い上がったら水滴を拭いて元に戻す。出来上がった菓子が詰まったケースに商品名のラベルを貼り付ける―。週5日、午後3時までのパート勤務。工場の入り口には「しごとをしっかりとやっていこお」と本人の決意の言葉が掲げられている。

「真面目にきちんと仕事に取り組んでいます」と社長の丸山明男さん(47)。卒業前の実習で来ていた時には、目の前のことをこなすだけで周囲に目を配れず「仕事に甘い」ところもあったが、今は次の仕事を自分から見つけている。この日も、手が空くとトマトゼリーのカップを拭いて仕上げる作業に加わった。

赤羽君が県安曇養護学校=北安曇郡池田町=高等部2年の時に担任だった長谷川武教諭(49)は、「いずれ自立できるように」と早い段階から家族とともに就職について考え始めたのがよかった、と話す。高等部では「家庭部」に入り、お菓子作りなどを経験。家族の知り合いで、姉もアルバイトをしていた菓子工場への就職を目指し、丸山さんとも話し合って2年生から同工場での実習を始めた。

3年の11月からは学校の実習で1カ月、さらに県松本技術専門校の早期訓練制度を利用した実習を2カ月加えて長期の“見習い”ができた。

「この3カ月は、本人が仕事に慣れるというほかに、周囲もどう接したらいいかを理解するために必要な時間だった」と丸山さんは言う。

同社では20年ほど前から知的障害のある社員も働いていて「大変なこともたくさんあります。それぞれに出来ることは違うので」。でも、「一緒に働くことで、私たちが学ぶこともある」。待つこと、同じ目線で話すこと、コミュニケーションをとることの大事さ―。これは、どんな職場であっても役立つことだ。

*   *

体重1280グラムで生まれた赤羽君は、視力障害や発達の遅れがあり、赤ちゃんのころから病院通いが続いた。小さく生まれて助かった命。その後にどんな障害が起こるのか、どう対応すべきなのか…。「何をするのがこの子のために一番いいのか」と両親は悩みつつ、子育てをしてきた。

地元の小学校は周りの友達に助けられながら通った。安曇養護中学部では身軽に動ける生徒が少なかったので、逆に周囲を支える立場となり、高等部では生徒会長を務めた。中学3年から寄宿舎で暮らし、食事作りや洗濯、掃除など身の回りのことは一通りできるようになった。盲学校にも並行して通い、一人で買い物に行ったり、電車に乗ったりする訓練も重ねてきた。

家族のサポートも大きい。両親はもちろん、兄は特別支援の教員を目指して勉強中の大学生で、よき話し相手。姉も作業療法士を目指し長野市の大学に通っている。日曜日は同じ工場でアルバイトをしているので、仕事のアドバイス役でもある。

4月末、赤羽君が初めてもらった給料は手取り6万円余。そのお金の中から大きなおけのすしを買ってきて、家族みんなでお祝いした。

<「育ち」支える人の手もっと>

県立こども病院開院10年の2003年から始めた取材は、小さく生まれた赤ちゃんをどう支えていくかがテーマだった。子どもの数は減っているものの、出生時の体重が1500グラムを切る赤ちゃんの割合は増えている。何の問題もなく育つ子もいれば、手術や治療を長期間必要としたり、ハンディを抱える子もいる。そうした子たちの育ちを家族任せにするのではなく、地域や学校で支える環境をつくることが大切なのだと考えさせられた。

それから13年。当時出会った子どもたちが中高生となったり社会に出たりしている。赤羽君が働く姿を目にして、わが子のことのようにうれしく思った。けれど取材では厳しい現実も垣間見えた。

赤羽君の「就活」は、早めの準備と理解ある企業、家族や学校の支援、本人の努力がかみあって夢がかなえられた。「どれか一つが欠けても、うまくいかなかったかもしれない」という長谷川教諭の言葉は重い。

障害者雇用や就業支援の制度は広がりつつあるものの、当事者一人一人のできること、できないことは千差万別で、きめ細かな支援が求められる。特別支援学校に通う生徒は増える傾向にあり、支えるマンパワーが足りないという。いったん就職しても、仕事のやり方や人間関係の問題で間に立って支援する人が、いま以上に必要だ。

障害のある子を授かった親が不安に思うことの一つは、将来の居場所や生活をどう整えていくかだろう。かかわる人の手、人の輪がもう少し増えれば、親の心配事は少しでも軽くなる。

[特別支援学校の生徒の就労]

県教委によると、2015年度の県内の特別支援学校高等部本科卒業生363人のうち、企業に就職したのは72人(19・8%)にとどまる。就職を目指した移行支援の事業所や福祉施設を利用しているのは261人(71・9%)。企業への就職率は過去5年間20%前後で、製造業、清掃・洗浄作業、小売業など。全国の就職者の割合(13年度=28・4%)を下回っているため、県教委は15年度から企業の人事経験者4人を就労コーディネーターとして県内4地域に配置している。

赤羽勁哉君の日記から

5月14日

たまごをれいぞうこにいれるしごとやおかしをつめるしごとをがんばりました。

5月19日

ふるいでこなおふるのをがんばってぜんぶやりました。

こなだらけになりました。

5月25日

トマトジュースのびんあらいもしました。はじめてなのでたいへんでした。

6月1日

マドレーヌのカップをならべる仕事をやりました。

同僚とトマトゼリーの容器を拭く赤羽君(左)。自分で次の仕事を探して働けるようになった=安曇野市

小学校の入学式で後ろに向いて座っていた赤羽君(2004年4月)

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VOICE!応募作品から 48歳 臨時職員(保育士) 長野県

人には誰にも生まれながらに小さな障害があるのではと思う。赤羽君は、たまたま不自由さを多く持ってしまったけれど、18歳になるまで、ご家族の愛に包まれ、たくさんのことを乗り越えてきたことが想像できる。なぜなら、「兄は特別支援の教員を目指し(略)。姉も作業療法士を目指して(略)。日曜日は同じ工場でアルバイトをしているので、仕事のアドバイス役でもある」と書かれていて、この部分にご両親の赤羽君への思いがある。一人の人間として接し続けた足跡を感じる。「早く、早く」と急がれる時代だからこそ、ゆっくりとつくられたものを口に運びたい。また、そんな味わいのある会社が増え、社会が変わることを祈る。障害は決して家族を苦痛にするものではなく、家族をあたため、良識のある会社を作り、豊かな社会を生み出すチャンスであると感じる。私も「早く、早くとできない」のは小さな障害であり、家族や職場の皆さんに助けてもらっている。それでいい。それがいいんだと思える。

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