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2017.01.30 update.

被災者の命 支えたスープ

熊本日日新聞社 | 2016年11月14日掲載

あの日から・熊本地震7カ月(上)=被災者の命、支えたスープ 益城町避難所で炊き出し半年 野菜と栄養、たっぷり

熊本地震は人々の心に深い傷を残した。前震の発生から14日で7カ月。被災者を支援し続け、今後も寄り添っていこうとする人たちがいる。支える人々の「これまで」と「これから」を見つめる。

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地震直後は千人以上が身を寄せた益城町総合体育館。10月31日に避難所とし被災者の命、支えたスープトリミング済みての役目を終えた。

閉鎖目前の27日は、5月下旬に始まった炊き出しボランティアの最終日。避難者は既に70人を切っていた。静寂が広がる館内。活動の中心となってきた園田恭子さん(47)=合志市=は別れを惜しむように最後のメニューを振る舞った。

「先が見えなかったけど、たくさんの出会いと支援のおかげで半年間続けられました」

発端は、益城町に住む妹の「指定外の避難所に物資が届かない」との訴え。オーガニック食品などを扱う店を経営する園田さんが、フェイスブックで発信すると、メーカーや卸会社などからミルクやおむつなどが寄せられ、益城町や西原村などの避難所や公園に届けて回った。

その中で聞こえてきたのが出来合いの弁当やパン、カップ麺などが続く食事への不安の声だった。心身のバランスを崩しやすい避難生活で、野菜不足や栄養過多が長引けば、体調を壊しかねない。

「たくさんの野菜と豊富な栄養が取れる温かい手づくりスープを届けよう」

「いのちのスーププロジェクト」と名付け、園田さんがフェイスブックで協力を呼び掛けた。すると、食材の提供や寄付、調理の手伝いなど支援の手が次々と挙がった。

直売所で地元の新鮮野菜をできるだけ安く仕入れ、だしも自然素材から取った。当初の炊き出しは、避難所だった益城中央小で週5日。8月からはYMCAの協力も得て、町総合体育館で週2日続けた。スープは最大600人分。毎回すぐになくなった。

最後の献立は、のっぺ汁と炊き込みご飯。調理したメンバー10人の中には、幼子をおぶって熊本市から駆け付けた2人の母親もいた。だしの取り方や味付けを教え合いながら調理を楽しむ10人の表情には充実感と達成感があふれていた。

のっぺ汁の作り方を教えたのは、益城町の福田文子さん(65)。自身も高齢の母親と避難生活を続けており、「お世話になっている代わりに、何かできることがあれば」と活動に加わった。

「最後の炊き出しと聞いて、あいさつに来ました。長い間、本当にありがとうございました」。園田さんの元に、前日退所した男性が駆け寄ってきた。「これからも元気でいてくださいね」。園田さんはあふれる笑顔でエールを送った。

「被災者の方々と会えなくなるのは寂しいけれど、みなさんが一歩前に進んだということ。これからも益城町の力になりたい」

活動の舞台は、14日から学校給食に移る。給食センターが被災した町内の小中学校では、外部業者の弁当給食が続いている。「野菜たっぷりの温かい食事を届けたい」と願う園田さんらは、子どもたちに「いのちのスープ」を作り続ける。(浪床敬子)

【写真】炊き出しボランティアの最終日に、のっぺ汁と炊き込みご飯を用意する園田京子さん(左端)ら=10月27日、益城町総合体育館

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毎日が大変だった。でも1日1日はとても大切で、皆が心を寄せ合って生きようとしていた。地震のあと、避難所の食事に野菜が足りない。…かといって生野菜では衛生面が心配な時節。どうしたものかと、炊き出しを手伝う知人から相談を受けた時、手っ取り早いジュースの差し入れしか私は思いつかなかった。あぁ、このような方々がいてくださったのか。温かい栄養たっぷりのスープを作り続けた方々の存在は知らなかった。思いやりを実行し、継続するのは簡単ではない。愛情いっぱいのこのスープが、小学校の給食にも届いたと、翌日の朝刊に載ったのもうれしかった。

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