コラム「日本の新聞人」

明治、大正、戦前昭和を代表する言論人 徳富蘇峰(とくとみ・そほう)

 明治、大正、昭和の三代を代表する言論人。文久3(1863)年1月25日熊本県上益城郡益城町に生まれ、本名は猪一郎。熊本洋学校、京都同志社に学んだ後、帰郷し私塾大江義塾を開き、新聞に評論を執筆、投書を始めたが、明治18(1885)年に出した「第十九世紀日本の青年及其教育」が注目され、言論界に知られるようになった。

 翌年上京して文筆活動に入り、23(1890)年2月『国民新聞』を創刊した。蘇峰はここで政治、社会、文化、宗教の改良を新聞作成の目標とし、陸羯南の新聞『日本』の保守に対し、進歩を標榜して、青年の人気を集めた。

 だが日清戦争後の三国干渉を見て「無力なる道理は有力なる道理に勝たず」と悟り、それまで攻撃していた藩閥政府に接近したので、人々は《蘇峰の変節》と非難したが、その論説は以後の政府を動かし、政局に大きく作用している。日露戦争後の講和条約、憲政擁護運動などでは桂太郎内閣を支持して群衆の襲撃を受けたが、彼の信念は揺るがず、国民各界に大きな影響をもたらした。

 昭和4(1929)年、蘇峰は経営上の不振から国民新聞を去り、以後、毎日新聞の社賓として、敗戦まで論文を掲載するかたわら「近世日本国民史」の執筆を続けた。昭和32(1957)年11月2日死去。小説家の蘆花はその弟。

(上智大学名誉教授 春原昭彦)

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