コラム「日本の新聞人」

幕末の新聞・雑誌文化の先駆者 柳河春三(やながわ・しゅんさん)

 幕末、随一の洋学者で新聞・雑誌の先駆者。1832年(天保3年2月25日)名古屋で生まれる。幼少の時より書、蘭学を学んだほか、和漢いろいろの学者について勉強、神童と言われた。

 57(安政4)年江戸に移り、紀州藩に招かれ蘭学所に出勤する。このころから江戸の文人、洋学者と交わり、英訳事業を始め、63(文久 3)年会訳社を組織して、ジャパン・コマーシャル・ニューズを翻訳した筆写新聞日本貿易新聞を出して当局者の参考に供した。

 64(元治元)年開成所の教授職に招かれ、65 年からジャパン・タイムス、ジャパン・ヘラルドの翻訳を、日本新聞、日本新聞外篇と題して筆写、回覧したほか、新聞に出ない記事を集めて新聞薈叢(かいそう)を編さんしている。

 67(慶応3)年にはわが国初の本格的雑誌西洋雑誌を創刊、68年開成所頭取となり、2月に中外新聞を発行した。この新聞は、会訳社の手書新聞を印刷新聞に変えたもので、形こそ冊子型だが、戊辰戦争が緊迫するなか、国内のニュースに重点をおいた内容、売れ行き、影響力から見て日本人発行の初の本格的新聞と言えるもので、5月に上野彰義隊の戦いを報じた別段中外新聞は、号外の元祖と言われている。だが官軍が江戸に入ると6月、45号で休刊、69年(明治2年3月)、官准中外新聞と題して復刊したが、柳河の急逝により翌年2月、41号で廃刊した。1870年(明治3年2月20日)没。

(上智大学名誉教授 春原昭彦)

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