コラム「日本の新聞人」

戦後のオピニオン・リーダー 笠 信太郎(りゅう・しんたろう)

 戦後日本の新聞界を代表する言論人。1900(明治33)年12月11日福岡市に生まれた。25(大正14)年9月東京商科大学(現・一橋大学)卒業、研究科に進む。28(昭和 3)年大原社会問題研究所に入り助手、研究員として経済学や労働問題を研究する。36年1月東京朝日新聞に入社、9月論説委員となりおもに経済問題を担当、39 年戦時下の統制経済のあり方について『日本経済の再編成』を出版、大きな反響を呼んだ。

 40年10月ヨーロッパ特派員となり、41年1月ベルリンに赴任するが、6月独ソ戦、12月に太平洋戦争がぼっ発したため帰社の見通しが立たず、43年10月欧米部所属としてスイスのベルンに移動した。45 年には対米和平工作の促進に努めるが、8月チューリヒで日本の敗戦を知った。46 年戦後ヨーロッパの混乱などを打電し、48年2月帰国、12月東京本社論説主幹となる。翌年12月論説の全社一本化が実現すると論説主幹となり、62 年に顧問に退くまで務めた。その間、長年の学識と滞欧の経験を生かし、48 年『新しい欧州』、50年『ものの見方について』、62年『“花見酒”の経済』などを出版、各界の注目を集めた。

 論説委員としては、被占領下からの独立後の日本の進路について広い視野から発言、国民各層に影響を与えた。対ガン協会の設立、世界連邦樹立の提言など社会的活動にも大きな足跡を残している。1967(昭和42)年12月4日没。

(上智大学名誉教授 春原昭彦)

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