コラム「日本の新聞人」

戦前の新聞販売界で活躍 鹿倉吉次(しかくら・きちじ)

 大正から昭和期に、大阪毎日新聞(現毎日新聞=大阪)で活躍した戦前の新聞販売界を代表する新聞人。1885(明治18)年3月21日、神奈川県中郡相川村(現厚木市)に生まれ、慶応義塾の塾監局勤務のかたわら慶応義塾に学び、1914(大正3)年3月、大阪毎日新聞に販売部見習員として入社した。

 当時、大阪の朝日新聞と毎日新聞は日本最大の新聞であり、さらにその勢力を大阪周辺から中国、四国、九州を経て、朝鮮、大陸へと拡大する時でもあった。そこで17年4月に九州担当の門司駐在員、18年2月には京城(現ソウル)駐在員として活躍、20 年帰社して、26年1月販売部長となった。

 昭和に入り28(昭和3)年2月、本山彦一社長の特別の計らいで、高石真五郎編集主幹の随員として欧米諸国を視察、「販売組織は日本の方が優れているが、新聞の成長は販売組織いかんだと痛感した」という。帰国後の30年1月、販売店連合大会の席で「大毎の販売人は題字さえあれば白紙でも売ってやるくらいの意気込みが差をつける」と語り、この言葉は一時期、大いにもてはやされた。

 以後、専務の高木利太営業局長との息の合ったコンビで合理的な販売方針のもと、着実な業績をあげていった。32年3月、東京日日新聞(現毎日新聞=東京)の七海又三郎と一時、東西の販売部長を交代するが、翌年10月には大阪に戻り、以後、印刷・営業局長から常務、専務取締役と役員を歴任、46年2月退社した。

 戦後は、公職追放令に該当したが、50年解除後は、ラジオ東京(現TBS)創業に関与、51年5月専務取締役を経て60年5月から65年11月まで社長を務めた。69(昭和44)年10月23日没。

(上智大学名誉教授 春原昭彦)

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