今やネットでもテレビでも、手軽にニュースを知ることはできる。それでも、「新聞」を手にとってしまうのはなぜだろう。今回は、新聞協会が主催するキャンペーン、「HAPPY NEWS」のゲスト審査員を務める放送作家・脚本家の小山薫堂さんとアートディレクターの森本千絵さんに、新聞のある生活について話をうかがった。そこには、お二人らしい新聞との距離感と、情報を得るだけにとどまらない新聞の魅力があった。

街で知らない人と出会うように、車窓の景色を眺めるように、探そうとせずもにめくっていくのがいい。

小山(以下、小):僕、朝起きて、ダイニングテーブルに新聞を広げるのが好きなんですよね。

森本(以下、森):わたしの父も、同じようにして読んでました! 幼い頃は、そうやって父が新聞をめくっていくのがおもしろくて、よく見ていたものです。朝ごはんを食べながら読むもんだから、牛乳がボタボタ新聞にこぼれちゃったりして(笑)。その記憶から、広告のアイデアが生まれたくらい印象的でしたね。新聞って、読んでいるうちに、紙がだんだんとくしゃくしゃになって、残るところだけ残って、そして次の使い方になっていくじゃないですか。そういう新聞の存在や過程は、子どもの頃から見ているので、すっかりからだになじんでいる感じがしますね。

小:新聞って、あの紙の大きさがいいですよね。今は、ネットでも新聞が読めたりニュースを読めたりできますけど、画面が狭い感じがして。紙かネットかでは、印象がかなり違います。

森:分かります。どうもネットのニュースにはまだなじめていなくて。情報が多すぎて、どうしていいか分からなくなってしまう。わたしは、新聞を使って、情報という風呂敷を広げるほうが合っているみたいなんです。

小:僕もそうですね。何気なくページをバサッとめくって見ていた時に、意外な出合いがあるのが好きなんですよ。セレンディピティーが呼び覚まされるというか。新聞のいろいろな記事を読むことは、街で知らない人と出会う感覚に近いかもしれません。新聞って、そういうのがいいなって思います。

森:そうそう、限られた枚数の中で目にしていく、出合っていくのがいいですよね。わたし、地方に行くと、空港や駅で必ず地方の新聞を買うんです。取り上げられているニュースも少しずつ違うし、おもしろい。新聞って、どこの場所に行っても絶対あるものだからいいんですよね。自分が移動していく中で着地する感覚というか。わたし、東日本大震災後の数年間、「新聞日記」っていうのをやっていたんです。毎日、気になった記事が載っている1ページを小さく折りたたんで持ち歩いて、その記事を残しながら、絵を描いたりチケットを貼ったり。一日の終わりには、記事に影響された絵ができているんです。

小:おもしろいですね! これはワークショップとして学生にやらせてみたいです。

森:「新聞日記」って、いわゆる新聞から進化した、"わたし"の新聞なんです。ただの白い紙だったら飽きていたかもしれません。

小:新聞って、すごく日常のものだけども、思いもよらなかった部分で刺激されて、発想につながる部分ってありますよね。だから、森本さんが、白い紙だったら飽きてたかも、とおっしゃるのは、とってもよく分かります。発想って、自分の中にある知識と外部の情報の化学反応ですもんね。だから、僕も真っ白い部屋で考えているよりも、飛行機や電車に乗って車窓を眺めているほうがアイデアが思い浮かびます。新聞のページをめくるのは、その感覚に近いですね。新聞で目にした何かをきっかけに連想ゲームが始まる感じというか。そのきっかけは、くだらないことだったり、人の名前の勘違いだったり。直接的ではないですが、新聞がいろいろな発想のきっかけになっていることは確かです。

興味深い記事をはさみで切り取って、誰かに見せたり想いを伝えるのは、SNSの「シェア」をする感覚。

小:先日、今年大学生になる学生たちに、新聞を読んで、そこから企画を作りなさいという課題を出して、きっかけになった記事の切り取りと企画の内容を提示してもらったんですが、ほとんどの学生が「新聞って初めて読みました」という反応。当然、新聞の記事を切り取ることも初めてだったと思います。ネットニュースをプリントして貼っている学生もいましたが、どちらかというとちゃんと新聞を使って、入り組んだ記事を切り取っている人の方がちゃんと読み込んでいる印象でした。わたしの見解ですが、新聞の記事って単純なレイアウトではなく、カクカクしていたり、大きさも様々だったりするから、苦労して切る分、愛着が湧くんじゃないかなと。

森:わたしも、HAPPY NEWSキャンペーンがスタートする時に、大学生に記事を切り取ってもらったんですが、やっぱり初めての人も多かったですね。作業をはじめたら、意外とあるねって、みんなで夢中でしたね。だんだんと小さいのをみつけたくなっていって(笑)。HAPPY NEWSを通じて、新聞自体と出合ったらいいなーっていうのがもともとこのプロジェクトのスタートだったので、そうやって小さい記事をきっかけに新聞が身近な存在になるといいなって思いますね。

小:そうですね。熊本の熊本日日新聞で、くまモンの4コマ漫画の連載をしているんですけど、熊本のおじいちゃん、おばあちゃんがそれを切り抜いて、東京の孫たちに送っているらしいんですね。新聞の一部がコミュニケーションのツールになっているんです。新聞ってそういう使い方もあるんだって、ひとつの発見でしたね。

森:キャンペーン2年目の大賞は、足の不自由な駄菓子屋のおばちゃんのゴミ出しを中学1年の男の子がやっている、という記事を読んでの応募でした。その男の子を訪ねたら、彼に全国から、記事を貼った冊子とか手紙とか、手作りHAPPY NEWSが届いていた。おばちゃんのところにも全国からいろいろな人が訪ねてきていて、おばちゃんいわく、「ご縁ですね」って。それがきっかけで「goen°」という名前が生まれたんです。新聞記事を切り取って、それを何かの形にして人に渡すって、若い人でも楽しいことだと思います。

小:よく考えたら、フェイスブックの「シェア」って新聞の切り抜きに近いですよね。

森:確かに! フェイスブックの「いいね」や「シェア」が好きだったら、新聞にも好きな要素はありますよね。そういう人たちにとっては、新聞というものが新鮮に感じるかも。視点を変えると、ちょっと見え方が変わってきますよね。例えば、新聞って、要約されているものだと思うんですけど、小さい記事の文章を詩や絵本のように、短い文章で区切って改行してみるんです。すると、ひとつの物語のように感じる。その主人公がリアルだから、一層すてきに感じるんです。

小:なるほど、それもおもしろいですね! HAPPY NEWSっていうと、泣けちゃう感じのいい話とイメージがあるかもしれないですけど、それだけじゃないですよね。

森:以前のHAPPY NEWSで、晴れマークだけの全国の天気予報を切り取って応募してくれた人がいましたけど、それもひとつの視点ですよね。こんなふうに世の中が変わったらいいなって気持ちを起こさせるものだったら、もしかしたら、ネガティブな記事でもHAPPY NEWSになり得ると思います。

小:同感です。肝心なのは、その記事からどんなものを受け取ったか、ですよね。

最後に、お二人に聞いてみた。「新聞て、どんなものだと思いますか?」

小:「白いごはん」ですかね。なんとなく、存在が似ている気がするんですよ。しばらく海外に行く期間とか、白いごはんを食べないでいると、やっぱりホカホカの白いごはんていいよね~っていう気分になる(笑)。海外出張から帰ってきて、いつものダイニングテーブルに新聞を広げると「帰ってきた」という実感が湧きますね。また、使い方次第でカレーにもなれるしどんぶりにもなる。そんな、いろいろなものに変わることができるところも「白いごはん」に似ています。くまモンの漫画がいい例ですが、とらえ方ひとつで新聞はいろいろな役割を持つんですよね。

森:なるほど~! そんなひとことでは答えられないですよ(笑)。う~ん……そうですね~。全国の人が共通しているリアル、その日だけのリアルっていう感じですかね。当たり前なんですけど、新聞って毎日印刷されてるじゃないですか。わたし、毎日、印刷物になっていることってすごいと思うんです。そして、その中にちょっとしたハッピーな記事が入り混んでいる感じとかって、ドラマチックだと思うんですよね。

「新聞」を何をとらえるのかは、読み手次第。スミからスミまで文字を追うよりも、まずは力を抜いてページをめくってみよう。そこにどんな景色が見られるのか、どんな新しい出合いが待っているのか。旅に出るような気持ちで―。

2014年3月25日