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2016.02.19 update.

農民史を生きるヒントに

西日本新聞社 | 2016年1月24日掲載

旧満州(現中国東北部)へわたり、戦後は県内で暮らす元満蒙開拓団員から聞き取った記録が、5冊のノートに刻まれている。集めた資料はファイル20冊分。25年前から断続的に調査を重ね、1人で訪ね歩いた元団員数は約30人に上る。

冬季の最低気温は氷点下20度。稲作を始めても「雑草の中に稲が植わっている」状態で、毎日が除草作業に追われた。一家で移住したが、赤痢感染で父親と5歳の長女を亡くした-。記録には、開拓地での生活の厳しさを物語る証言が並ぶ。

敗戦後は国に置き去りにされ、運良く熊本に戻ってからも辛苦は続いた。周囲から「きゃーたくの汚れ」とさげすまれたり、「川下で泳げ」との言葉を向けられたりした。

「開拓民は現地の人にとっては侵略者であると同時に、戦後は被害者でもあった」。調査で導き出した実相だ。

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国が全国から開拓者たちを募り、次々と旧満州へ送り出したのは満州事変後の1937年からだった。熊本県の送出者数は1万2680人(青少年義勇軍2701人を含む)で、長野、山形県に次ぎ全国で3番目に多いとされる。

県農業協同組合中央会の職員時代、地域の農民史を調べていた。県史や町誌、当時の村議会議事録などを当たったが、開拓民の現地での暮らしに関する記述は一行も見当たらなかった。同じ過ちを繰り返さないため「民衆の視点から史実を記録しなければ」との強い衝動に駆られた。

手掛かりは開拓団の記録本に載っていた名簿だけ。「豊野村」「砥用町」といった町村名を頼りに、現在の宇城市と美里町で暮らす開拓団員たちを捜し、尋ね回った。

「懲役を免除されると聞いた」「高い小作料の徴収から逃れ、大規模農業を夢見た」「集落に何人か割り当てられた」。大陸に渡ったきっかけはそれぞれ。ただ、最も大きい要因は「国策遂行のために行政、農業団体、教育機関などが、困窮する農民たちに対し行かざるを得ないように仕向けたこと」と確信した。

下益城郡からの送出者数が県全体の約2割を占めるほど多い理由を知るため、県立図書館に通い、マイクロフィルムで保存された当時の新聞記事を読みあさったこともある。国の「開拓民送出編成計画」で、下益城郡が全国10指定郡のうちの一つにされたと報じる記事を見つけ出した。

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市井の農民史を追求するのは、自らも一人の農民として「困窮した状況から再び農業で暮らしを立てた人に、生きるヒントを学びたい」との思いが根底にあるからだ。

戦後70年の昨年、「責任の所在を明らかにしたい」と、県内で送出を推し進めたとされる人物の研究を深めた。今年は四半世紀に及ぶ調査の集大成として、書籍などの形にまとめるつもりだ。

5年前、耕作放棄地を再生し有機栽培を行う活動に取り組もうと、農事協同組合を設立した。「苦労して開墾した土地で農業を続けてほしい」と願う元開拓民たちの思いに、少しでもつながると、信じている。

2016年01月24日朝22熊本県版

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VOICE!happy news特派員・mk 24歳 会社員 熊本県

県史や町誌には記録されていなかった開拓民たちの過去を、たった一人で追い続けた人。農民の一人として、暮らしの基盤である農業に携わることの誇りや先祖たちへの敬意を感じた。

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