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2015.01.13 update.

戦災、震災くぐり抜け69年ぶり再会

河北新報社 | 2014年8月9日掲載

戦災、震災くぐり抜け69年ぶり再会

石巻の女性2人

 

仙台空襲の戦火を生き抜いた石巻市の女性2人が、69年ぶりに再会を果たした。当時、仙台市立病院看護師の斎藤清子さん(88)と看護学生だった西野真津江さん(83)。終戦後、互いの消息が分からないまま、東日本大震災で共に被災した。二つの災禍を経験した2人は「何より尊いのは平穏な暮らしと人の命」と口をそろえた。

 

西野さんが7月末、斎藤さんが1人で生活する石巻市の仮設住宅を訪ねた。「長い間、お礼を言いたかった。胸のつかえが下りました」。西野さんは斎藤さんの手を握り、目を潤ませた。

石巻市の国民学校で斎藤さんの妹と同級生だった。卒業後、仙台市立病院の看護学校に入学。慣れない土地は心細く「同郷のお姉さん」と斎藤さんを慕っていた。

1945年7月10日未明。米軍機B29が仙台市中心部を爆撃し、現在の青葉区一番町にあった市立病院も炎に包まれた。2人が逃げ込んだ地下室にも火の手が迫る。階段をはい上がり、1階の扉から脱出を図った。

「扉の鉄板が熱くて、熱くて。斎藤さんと力を合わせて押した。必死だった」と西野さん。ようやく出た病院の外には、幾人もの遺体があった。

焦土と化した中心部から、2人は市北部の老人施設に避難。斎藤さんは翌日から病院で負傷者を手当てし、父親が迎えに来た西野さんは看護師を断念、実家に帰った。

戦後、斎藤さんも石巻市に戻った。それぞれ結婚して住まいや姓が変わり、同じ石巻に居ながら顔を合わせることはなかった。

再会のきっかけは、斎藤さんが空襲体験を語った7月10日の河北新報の記事。「あの時、一緒に難を逃れたお姉さんに違いない」。西野さんが人づてに連絡を取り、訪問を約束した。

震災で斎藤さんは同市渡波の自宅が、西野さんは同市小竹浜の自宅がそれぞれ津波に襲われた。「私たちは何度、丸裸にならないといけないんでしょうね」。再会を喜びながら、西野さんは過酷な運命を振り返った。

斎藤さんは「津波は天災だからしょうがない。でも、戦争は人災。人生を狂わせられるのは、いつも庶民」と平和への願いを新たにした。

 

(写真)手を取り合って69年ぶりの再会を喜ぶ斎藤さん(左)と西野さん

河北(11月)

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「二人の女性が手を取り合って笑っている。」 私は夏休みのある日、何気なく新聞をめくっていると。一枚の写真が目に留まった。それは、69年ぶりに奇跡の再会を果たしたという記事だった。その再会のきっかけになったものも、1カ月前の同新聞記事(河北新報朝刊、平成26年7月10日付)であるというから驚いた。 私自身は、今年成人式を迎えたばかりである。成人式で5~10年ぶりに再会した友人でさえ懐かしさを感じたが、その3倍以上でもあり、幾多の災害、困難の年月を経て再会できた喜びというものは言葉に言い表せない気持ちではなかったのではないかと思う。 大変な時代をともに生き抜いてこられた、二人の女性に神様がもたらした奇跡。たった一枚の新聞記事で笑顔になれたり、何十年分もの思いが報われることもあるのだと知った。今までご苦労が多かった分、お二人にはこれから先、穏やかな生活をおくって頂きたい。

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