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2014.05.13 update.
一人を恐れる大学生へ(上) 「ぼっち」のススメ 「孤独」を「孤高」の時に 「トイレで食事」「陸の孤島のようだった」
「ぼっち」とは、一人でいることを意味する。独りぼっちから派生した若者言葉だ。意味合いは否定的。学生食堂で一人で食べていると、「ぼっちと思われる」とトイレで昼食を取る大学生もいるという。でも、大学生活は一人でさまざまなことに挑戦できる貴重な時間だ。孤独と孤高は一字違い。恐れる必要はない-。(白名正和、鈴木伸幸)
「大学に通い始めたころ、お昼ご飯は試練に近かった。学食を一人で食べる『ぼっち飯』の姿は知り合いに絶対に見せられない」
東京都内の大学四年生の女性(23)はこう振り返る。高校を卒業して単身、上京した。入学当初、知り合いがいないのだから仕方ないが、耐えられなかった。
「トイレで食べたこともあります」
「便所飯」と呼ばれる行為だ。「一人になれる場所を、とキャンパス中を探して行き着いた。入学当初は、多いときは週に三回、トイレだった」
何をそんなに恐れるのか。「大学という集団の中で、居場所を見つけられない人と思われる。絵面(えづら)が、リア充じゃないことを証明してしまうじゃないですか」。「リア充」も若者言葉で、リアル(現実)の生活が充実していることを意味する。
小中、高校まではクラス内で友人ができた。でも、大学にはクラスがなかった。その後、女性は語学のクラスや部活動で友人をつくり、「ぼっち」を解消した。今は一人で学食で昼食を取っても大丈夫だ。「この後、部活動だから仕方がない、とか理由付けができるから」。要するに気の持ちようだ。
それにしても、この女性のような考え方が大学生には一般的なのか。東京・本郷で東大生に尋ねた。
三年生の女性(20)は「一人で、学食は利用しない。周りが楽しそうな分、寂しさを感じてしまう。買い物とか効率が良いこともあるけど」。一緒にいた同じく三年生の友人の女性(20)が「私は別に気にしない」と答えると「ウソー」と驚いた。
三年生の男性(21)はこの日、「授業ぼっちだった」と言う。「自分をちゃかしているようなもので、深い意味はない。一人になることは誰にでもあるから」と気にしない東大生も少なくなかった。
続いて大学が集まるJR御茶ノ水駅付近。明治大四年生の女性(21)は「一人で学食に行くぐらいなら食事を抜く」ときっぱり。「みんな友人といるのに、『何であの子は独り?』と思われる。男子はあまり気にしなくて、女子に多いんじゃないかな」
同じく四年生の女性(21)は一年生の時の「ぼっち飯」を、「陸の孤島のようだった。居づらかった」と話す。「誰に何を言われたわけではないが、一人はダメという雰囲気というか周囲の視線が刺さった」
ただ、この女性は、学食で一人で食事をしている姿を見ると、「周りにとらわれないかっこいい人と思う」と言う。では、自分もそうすればよいのだが、「うーん…、やっぱりちょっと…」と首を振った。
ベンチで座っていた日本大の学生は「一人で校舎に入るのが嫌で、誰か来るのを待っている」と照れ笑いしていたら、男女三人と合流できた。友人かと思いきや、「いや、そういうのでは…」と顔見知り。とにかく一人でなければOKだ。
一人を恐れる大学生へ(下)背景にSNS普及 つながり広く薄く 気遣う相手増えすぎ 心を見つめ 脱・仮想の自分
学食に一人用のカウンターを設ける大学が増えている。大学側は「利用の回転を速めるため」などと説明する。
しかし、早稲田大四年生の女性(22)は「ああ、ぼっち席ですか」と口にした。「悪気はないけど、みんなそう呼ぶ」という。二年生の男性(20)は「他人のぼっちは気にしないけど、自分のぼっちは気になる」と言う。「自分でも理解できないけど、確かにそういう雰囲気が大学内にある」
専修大二年生の女性(19)は「テーブルを一人で使うと、他のグループから『あいつがいなきゃ使えるのに』と思われる。ここにいちゃいけないと、心が折れそうになる」。一緒にいた友人(19)は「ゼミで一緒になった時、『あの時のぼっちの子』と思われることは避けたい」と苦笑した。
都内ではないが、四国の高知大では、大学生協の職員が、大学生を学食の空席に誘導する。学食の一人利用すらできない学生にとって、相席はそれを上回る「難題」だからだ。
こうした風潮に明治大の諸富祥彦教授(カウンセリング心理学)は「新しい問題ではなく昔からあった。日本社会には『一緒に行動しなければならない』という同調圧力がある。群れていれば安心で、外れるのが怖い」と説明する。
「実社会経験が少ない学生には、身近な他者とのつながりが全て。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の影響でつながりが薄く広くなり、気遣いする相手が急増した。外される恐怖がより強くなり、一人でいるところを見られたくない」
東洋大の学生相談室の相談員で臨床心理士の須賀芳枝さんは「キャンパスライフの情報はネット上にあふれ、SNSでは格好を付けがち。友だちが多い仮想の自分に合わせるために、孤独な姿を見せたくない-という心理もあるのでは」と分析する。「一昔前は『一匹おおかみは格好いい』とも思われたが、最近は孤独は悪いイメージが付きまとう。地縁、血縁の付き合いが薄くなり、少子化の影響もあり、経験不足からか、深い対人関係を築くのが苦手な若者が多い」
須賀さんによると、対人関係で悩みを持つ学生は「自己肯定感が低く、人の目を気にし、自分の悪いところばかりが見えがち」と言う。「人付き合いをうまくするには、まず自分とうまく付き合うことが大切。それには、自分を見つめる一人の時間も貴重」と助言している。
駒沢大の石井清純教授(禅学)も「今の学生には、自分がどういう人間なのか考える時間が不足しているように感じる」と話す。
「SNSは情報伝達の便利な道具のはずなのだが、それがムラ社会のおきてとなり、学生が振り回されている。自分の立ち位置がしっかりしていれば、過剰に反応しなくてすむ。『自分を見つめるために座禅を組め』とまでは言わないが孤独は決して悪くない」
広辞苑によると、「独りぼっち」は「独り法師」がなまった言葉だ。どの宗派にも属さずに世の中を救って回るお坊さんで、その姿が寂しそうにも見えるので「独りぼっち」として転用されたとも。ただし、石井教授によると、仏典には「独り法師」という用語はない。
日本医科大の海原純子特任教授(心療内科)も、独りの時間の必要性を強調する。「最近の学生は、手っ取り早く他人の評価を求めがち。LINEやフェイスブックの友人の数を自慢するなど表層的だ。自己の確立には、自分の内面と触れ合う時間が不可欠だ。本当の自分の姿を見せずにネット上の仮想空間でありたい自分のイメージをつくって自己満足をしているような気がする。現実は現実で、自分の弱さを認めることも大切だ」と付け加えた。
デスクメモ
「みんなぼっち」。かつて大修館書店が中高生から募集し、投稿のあった「辞典に載せたい新語」の一つだ。友達同士、集まっているのにバラバラで、それぞれ独りぼっちの状態を指す。「一匹羊」は、気が小さく、自意識が強くて群れに入れない人の意味だという。独立独歩が死語にならないことを祈る。(文)
この記事でHAPPYな気持ちになったら
VOICE!happy news特派員・かなえ 24歳 学生 東京都
記事では、独りぼっちから派生した「ぼっち」という若者言葉に注目し、インタビューから今の大学生が恐れる、「一人でいること」の実態を紹介している。 記事の中でも言及されているが、要は気の持ちようだろう。この後部活動があるから仕方なく一人学食で食事するのと、友達がいなくて学食で食事するのとでは、周りから見ればなんら違いが見出せない。そして同時に、そんなに周りは他人のことを見てはいない。友達と一緒にいればなおのこと周りのことなど見ないだろうし、目が合うとしたらそれは同じく周りを気にする「ぼっち」なのではないか。