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2016.06.06 update.

甲子園記念球 奇跡の発見

河北新報社 | 2016年5月2日掲載

津波で犠牲の祖父にプレゼント/甲子園記念球 奇跡の発見/利府高4強元主力/七ヶ浜・湯村さん/消防の仕事 励みに

七ケ浜町の消防士湯村拓さん(24)が東日本大震災の津波で犠牲になった祖父八木原勇さん=当時(79)=に贈った思い出の品が、5年ぶりに町内の田んぼで見つかった。湯村さんは利府高野球部が甲子園に初出場した時の中心選手で、発見されたのはその時の記念ボール。今春から現場で奮闘している湯村さんは「祖父が『頑張れ』と背中を押してくれている気がする」と話している。

利府高が甲子園初出場を果たしたのは2009年春の選抜大会。湯村さんら打撃陣の活躍などで4強に入り、快進撃は「利府旋風」と呼ばれた。選手一人一人に贈られた記念球には「ベスト4 利府高校」の文字と選手の名が印字されていた。
湯村さんはそのボールを勇さんにプレゼントした。湯村さんは高校野球の大ファンだった勇さんの影響で野球を始めた。「感謝の気持ちを込めて、祖父に渡した」と思い返す。
しかし、震災の津波で勇さんの命と共に、思い出のボールも失われた。
ボールが出てきたのは勇さんの家があった菖蒲田浜から1キロ以上内陸に入った田んぼの中。ことし3月下旬、山形市の土木会社社員北沢吉美さん(62)が圃場整備のため重機を操っていたところ、土からボールが転がり出てきた。作業をやめて、泥を払うと湯村さんの名前が見えた。
「大切な品だと思った」と振り返る北沢さんは、山元町にある会社の宿舎に帰って知り合いの町職員に相談した。職員が知人を通じて湯村さんの居場所を捜し出した。4月14日、湯村さんの元にボールが戻った。
湯村さんは高校卒業後、仙台大で野球を続けていた。在学時に震災に遭い、祖父の死に直面した。その時の経験から「災害現場で人の役に立てる仕事をしたい」と消防士を目指した。
15年に採用試験に合格し県消防学校に入学。今春、利府消防署に配属された。「まさかボールが出てくるとは思わなかった」と湯村さん。「震災後、甲子園の記憶が薄くなっていた。あの時得た自信を思い出して、仕事に取り組んでいきたい」と感慨深げに語る。

【写真】5年ぶりに見つかった思い出のボールを手にする湯村さん

甲子園記念球

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VOICE!happy news特派員・ゆか 22歳 会社員 宮城県

震災の経験を通して「人の役に立てる仕事をしたい」と消防士になられた湯村さん。どんな困難にも負けず、強くたくましく生きる湯村さんだからこそ、大切な品が再び戻ってきたのだと思う。私は恩人から“人のために頑張れるやつは強く、そしてそれが自分に返ってくるんだ”と言われたことがある。土から転がってきたボールを大切な品だと思ってくれた北沢さんや、知人を通じて居場所を捜し出してくれた町職員さんがいて、ようやく湯村さんの手に渡ったこの奇跡。誰かが誰のために動く、そしてその行動が人の心を温かくする。その発端は天国のおじいさんの強い想いからだったのではないかと思います。

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