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2016.12.27 update.

久留米市の歌 二つあった

西日本新聞社 | 2016年12月7日掲載

追跡・久留米市の歌 二つあった
(新)合併を記念して2005年、藤井フミヤさん作曲
(旧)市制61周年記念し1951年、團伊玖磨さん作曲

 

大学時代を松江市で過ごした。正午になると、柔らかいメロディーの「松江市の歌」が市役所のスピーカーから流れ、いつの間にか歌詞まで覚えてしまったことを思い出す。赴任して3カ月。久留米市にも「市の歌」はあるのだろうか。市のホームページ(HP)で検索すると…。アレッ! 2曲ある。謎を探ってみた。(萱島佐和子)

 

「♪はるか遠く夢追いかけた美しきふるさと♪」

久留米市役所やJR久留米駅を歩いていると、聞こえてくるこの歌。2005年の1市4町による合併を記念して作られた「ふるさとのささやき~新久留米市の歌~」だ。同市出身の歌手、藤井フミヤさんの作曲。藤井さんが作ったメロディーを公開し、歌詞を一般公募したものだ。

久留米市の知人に聞いて回ると、この歌は「市役所で流れていた」と、それなりに知られている。でも、それより54年前に作られた旧「久留米市の歌」となると、知らない人ばかりだ。

だが、作曲者の名を聞くと驚く。混声合唱組曲「筑後川」や童謡「ぞうさん」などで知られる團伊玖磨さん(1924~2001)が手掛けているのだ。1951年に市制61周年を記念して作られた曲で、高揚感のある歌だ。

どういう経緯で市の歌を作ることになり、そして團さんが関わることになったのか。久留米市総務課を取材するが「資料がほとんど残っておらず、分からない」という。

自治体の歌は1889年の市制、町村制の施行以降、各地で作られた。ただ、軍歌調の曲が多く、戦後に新たな歌を設置する自治体が増えたという。最近は平成の大合併によって、再び新曲ブームとなっているようだが「久留米市のように前の曲を残して2曲ある自治体は珍しい」(同市)という。

どうして2曲あるのか。市によると、当時の合併協議会の話し合いで「市が無くなるわけではない」と、旧市の歌を残す意見が浮上。「今までの歴史を残しつつ、新しい市としてやっていこう」という思いを込めて併存を決めたのだそうだ。

旧「久留米市の歌」をよく知る人はいないだろうか。歌の編曲を務めた故本間四郎さんがかつて指揮した「久留米音協合唱団」の樫村正生さん(70)はこの歌をステージで何度も合唱してきた。「戦後の荒廃から立ち上がっていくんだという歴史を背景にした力強さがある。古き良き久留米を歌ったいい歌なんですよ。新しい歌ができ、今ではめっきり歌われなくなった」と寂しそうだ。

「筑後川」をはじめ九州を題材にした作品を数多く残した團さん。樫村さんによると、年代的にも旧「市の歌」はその作品群の最初に当たる曲であり「團さんの愛がこもっている」と話してくれた。旧「市の歌」は現在、公的な式典や、市役所でごく短い時間に流れるだけだ。もっと聞く機会が増えてほしいと思うのは私だけだろうか。

 

團伊玖磨さん作曲の「久留米市の歌」

作詞・花岡 俊躬
編曲・本間 四郎

高良山朝日に映えて
筑後川永遠に流れる
天地の微笑(ほほえ)む街久留米
春秋の花開く街久留米
あゝ輝やかな我等(われら)が郷土

誇りある天与の業に
勤労の合唱起る
生産の伸びゆく街久留米
交易の栄えゆく街久留米
あゝ輝やかな我等が郷土

明朗の市政正しく
歴史ある文化は薫る
筑紫野の不壊(ふえ)の街久留米
躍進の虹描く街久留米
あゝ輝やかな我等が郷土
=旧「久留米市の歌」を作曲した團伊玖磨さん(1998年撮影)                                                             %e4%b9%85%e7%95%99%e7%b1%b3%e5%b8%82%e3%81%ae%e6%ad%8c=久留米市の街並み。新旧の市の歌には自然や古里への思いが歌われている

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VOICE!ララ 25歳 会社員 福岡県

全国各地の自治体が制定する「市町村歌」。久留米市には2つあるということも驚きだが、久留米市民に聞いて回っても知らない人が多い。1曲目は著名な作曲家の團伊玖磨さん(1924~2001)、2曲目は久留米出身の藤井フミヤさん(歌手、元チェッカーズ)。ビッグネーム2人による2つの歌、もっと市民に浸透してほしいなと思った。

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