コラム「日本の新聞人」

女性記者の草分け 羽仁もと子(はに・もとこ)

 女性記者の草分け。女子教育者として有名。1873(明治6)年9月8日、青森県八戸に生まれ、高等小学校卒業後上京、府立第一高女を経て、明治女学校高等科に学んだ。92年帰郷して教職についたが、98(明治31)年再び上京、書くことを望んで職探し中、12月に入って「報知新聞」の職業案内欄に「校正係入用」とあるのを見て応募した。

 当時新聞社とは男性の職場と考えられていたが、ちょうどこの時期は政論紙から商業的報道新聞への転換期、「報知」も実用本位の家庭新聞として出発しようとする時だった。自伝によると、履歴書と「女の私が校正に従事したいわけ」を書いた手紙を持って社を訪れた。これを読んで興味を示したのが、頼母木桂吉(後の東京市長)と田川大吉郎主筆(後、東京市助役)で仕事ができるなら女でもかまわないと採決してくれたという。

 そのころ「報知」では一面に「夫人の素顔」という読み物を連載していた。そこでもと子は高女時代の先生に紹介を依頼し、谷干城(たに・たてき)子爵夫人に面会、その話をまとめて係に出したところ採用され、99年8月、7回にわたり掲載された。この連載でもと子は、三木善八社主からも認められ記者に採用され、「不幸女」の訪問記などを書き、活躍したが、1901年羽仁吉一と社内結婚したため、退社を余儀なくされる。

 以後03年「家庭之友(08年「婦人之友」と改題)」を創刊、21(大正10)年には「自由学園」を創立、キリスト教信仰に基づく人格教育を行った。1957(昭和32)年4月7日没。

(上智大学名誉教授 春原昭彦)

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