コラム「日本の新聞人」

福沢亡き後、時事新報の論壇を主宰 板倉卓造(いたくら・たくぞう)

 1879(明治12)年12月9日、広島県庄原村に生まれる。1903(明治 36)年慶応義塾大学部政治科を卒業して、同普通部の教員となった。

 1907(明治40)年から1910(明治 43)年まで欧米に留学、帰国後、大学部教員となり、国際法、政治学を担当する。同時に1905(明治38)年から『時事新報』の社説記者となり、石河幹明を助けて福沢諭吉亡き後の『時事新報』の論壇を支えた。

 1923(大正12)年に主筆となるが、当時の『時事新報』は軍縮を主張し、シベリア出兵や軍の満州問題に反対の態度を取ったため、陸軍からにらまれていた。1935(昭和10)年退社、1944(昭和19)年慶応義塾大学教授を辞任、名誉教授となる。

 第二次大戦が終わると1946(昭和21)年1月『時事新報』を復刊、社長兼主筆として、戦後の日本の進路について発言するとともに、吉田茂総理を支えた。

 1955(昭和30)年、『時事新報』が『産経新聞』に合併すると『産経時事』論説委員長となるが、1960(昭和35)年退社、1963(昭和38)年12月23日死去した。

 1926(大正15)年に「近世国際法史論」で法学博士の学位を受け、1951(昭和26)年には日本新聞協会から第1回新聞文化賞を受賞している。

(上智大学名誉教授 春原昭彦)