コラム「日本の新聞人」

新聞広告界の先駆者 岸田吟香(きしだ・ぎんこう)

 幕末、明治初期に活躍した新聞・広告界の先駆者。1833年(天保4年4月8日)岡山県久米郡旭町に生まれ、本名は銀次

 津山、江戸、大坂で学問を修めたが、眼を病んで横浜に行き米人の医師ヘボン(J.C.Hepburn)の治療を受けたことからヘボンの作成した日本最初の和英・英和辞書『和英語林集成』の編さんに協力、そのお礼としてヘボンから伝授された初の洋式目薬「精錡水(せいきすい)」を調剤、明治に入るとその販売に新聞広告を利用して成功を収め、製薬・広告業界の大立者になった。

 幕末にはまたジョセフ・ヒコに協力して日本初の民間新聞「海外新聞」の発行を助けたほか、米人ヴァン・リードとともに「横浜新報 も し ほ草」を創刊している。

 1873(明治 6 ) 年「東京日日新聞(現毎日新聞)」に入り、翌年5月、台湾出兵に従軍して観戦記を連載した。わが国初の従軍記者である。その報道文は「岸田の雑報」として知られ、明治天皇の各地巡幸に従って書いた「御巡幸記」は読者の好評を博した。

 1880 年、前島密と築地に訓盲院(盲学校)を設立したほか、幕末には回漕事業、氷会社、石油事業の計画など各種事業に関与している。

 1905年6月7日に死去。洋画家岸田劉生はその四男である。

(上智大学名誉教授 春原昭彦)