読売新聞興隆の祖、テレビ事業の先駆者 正力松太郎(しょうりき・まつたろう)
前昭和期の代表的新聞経営者で、読売新聞中興の祖。戦後はテレビの誕生、発展に尽くし、日本のテレビ界の父と言われる。
明治18(1885)年4月11日富山県射水郡大門町で生まれた。東大法学部卒業後、大正2(1913)年警視庁に入ったが、12 年警務部長の時、虎ノ門事件の責任を負い免官になったため、翌13年後藤新平の援助で読売新聞を買収、経営に乗り出した。以後、関東大震災で東京の新聞社が壊滅状態に陥った中で、独特のアイデアを発揮して部数を伸ばし、戦前すでに関東北第一の新聞に発展させた。戦時中、政府、軍部が言論統制の一環として全国新聞社一元化案を出してきた時、敢然としてこれに反対、政府の統合案を撤回させたことは有名。
戦後は、いち早くテレビ免許を取得して初の民間テレビ「日本テレビ放送網」を設立、昭和 28(1953)年に放送開始以来、日本の放送界をリードしてきた。晩年は政界に入り、原子力の平和利用を提唱した。そのほか、戦前、プロ野球巨人軍を創立して、今日の職業野球の隆盛に尽くした功績も大きい。昭和44年10月9日死去。
(上智大学名誉教授 春原昭彦)