新聞社組織の近代化に尽力 杉村楚人冠(すぎむら・そじんかん)
明治から昭和初期に活躍した新聞人で、本名は広太郎。明治 5(1872)年7月25日和歌山市で生まれ、英吉利法律学校、国民英学会に学んだ後、和歌山新報、国民新聞、米国公使館通訳などを経て、36年12月東京朝日新聞に入社した。
40 年には伏見宮貞愛親王渡英に際しロンドンへ特派、タイムスと懇親を結ぶ。同時に文化的事業などに種々の企画を提案、満韓視察旅行、世界一周旅行などを実行参加した。
44 年にはタイムスで見たライブラリーに範をとり、日本初の調査部を創設、初代部長を務めた。大正3(1914)年第一次欧州大戦に際し、欧州へ特派、翌4年サンフランシスコの世界新聞大会に出席した。8年には日本で初の「縮刷版」を創刊(東京朝日7月号から)、11年10月には記事審査部を設置して読者の苦情処理にあたるなど、日本の新聞界のために次々と新しい試みを実行した。
『最近新聞紙学』『新聞の話』『新聞紙の内外』など新聞に関する著作も多い。大正8年監査役となり、昭和10(1935)年相談役(12年から顧問に名称変更)に退いたが、執筆の筆は断たなかった。昭和20(1945)年10月3日死去。名文家としても知られ小学唱歌「牧場の朝」は彼の作詞である。
(上智大学名誉教授 春原昭彦)