戦後の読売新聞再建に貢献―政治・外交評論家としても活躍 馬場恆吾(ばば・つねご)
20 世紀前半に活躍したジャーナリスト、評論家。明治8(1875)年7月13日岡山県邑久郡牛窓町に生まれる。
同33年東京専門学校(現早稲田大学)を中退してジャパン・タイムズに入社したが、主筆頭本元貞が同42年ニューヨークで「オリエンタル・レビュー」を発行する時に同行、その編集長を務める。大正2(1913)年帰国して、ジャパン・タイムズ編集長となるが、翌3年社長頭本が退いたので退社、国民新聞に入り、外報部長、編集局長を務める。
同8年パリ講和会議に特派されるが、震災の翌13年退社、以後は評論家として活躍、とくにその政治・人物評論は、斯界の注目を集めた。昭和7(1932)年、読売新聞が日曜夕刊に新設した「日曜時評」(同10 年朝刊に移り「日曜評論」と改題)の常連執筆者(同15年まで)となったが、戦時中は自由主義者として、総合雑誌の執筆禁止者リストに記載されている。
敗戦後の同20年12月、読売新聞の正力松太郎社長から、追放後の社を任され、二度の争議を乗り切り、戦後「読売」の復興にあたった。同24年日本新聞協会初代会長に就任、占領期の新聞界の舵取り役を務め、その功により同26年、第1回新聞文化賞を受賞している。昭和31(1956)年4月5日死去。
(上智大学名誉教授 春原昭彦)