コラム「日本の新聞人」

初の民間邦字紙の創始者 ジョセフ・ヒコ<日本名:浜田彦蔵(はまだ・ひこぞう)>

 新聞の先駆者。天保 8(1837)年8月21日、播州(兵庫県)播磨に生まれ、幼名は彦太郎。13歳の時、遠州灘で暴風に遭い米国船に救助されて帰化し、帰国後日本初の民間邦字新聞「海外新聞」を発行した。

 この新聞は、横浜に入る英国船などがもたらす新聞から得た海外情報を、ヒコが翻訳して岸田吟香、本間潜蔵(清雄)らが日本文に記したもので、慶応元(1865)年5月から翌2年12月まで26号発行された。

 ヒコは漂流後、米国で庇護(ひご)者を得てボルチモアで教育を受け、カトリックの洗礼を受けジョセフの名を用い始めた。1858年に帰化し米国の市民権を得たが、日本が開港したため、59年神奈川領事館の通訳として日本に赴任した。61年いったん渡米するが、再び横浜に帰り、63年領事館を辞任して、横浜で商館を開いた。65 年に海外新聞を発行したが、翌年 12 月、横浜を去り長崎で事業を始めたので新聞も廃刊になった。

 明治になって一時大蔵省へ出仕したほか、神戸で製茶貿易、精米所などを始めるが、晩年は東京へ移り、明治30(1897)年12月12日死去した。日本名は浜田彦蔵。滞米中、ピアス、ブキャナン、リンカーンの三大統領に会った唯一の日本人としても知られる。

(上智大学名誉教授 春原昭彦)