コラム「日本の新聞人」

近代日本の言論・文化の先駆者、時事新報を創刊 福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち)

 近代日本の代表的思想家、教育者で、文明開化の指導者。新聞界の先覚者でもある。1835年(天保5年12月12日)大阪の中津藩蔵屋敷で生まれ、長崎、大阪、江戸で蘭学、英学を学んだ。1860(万延元)年幕府に出仕し、咸臨丸に乗り渡米、62(文久2)年に幕府遣欧使節随員として渡欧、67(慶応3)年には軍艦受取委員として渡米するなど、当時、最高の新知識人であった。68年「慶応義塾」を創設、子弟を教育したほか、「西洋事情」「学問のすすめ」など多くの著述で西洋文明の紹介、普及に努めた。

 福沢の新聞界に対する功績と言えば、第一に日本における新聞の紹介者の一人であること(「西洋事情」の中で、新聞の役割や機能、新聞の印刷や配達のスピードなどを驚嘆の目で紹介している)、第二は、日本を代表する高級紙「時事新報」を創刊したことで、福沢の独立富強、西洋の科学を中心とする近代合理主義のすすめなどは、この時事新報によって説かれたものが多く、政界、経済界、言論界に大きな影響を及ぼした。

 第三には、その門下から数多くの優れた新聞人を輩出したことで、慶応義塾出身のこれらジャーナリストは中央、地方の有力紙で活躍、明治、大正の各界に大きな影響を及ぼしている。1901(明治34)年2月3日死去。

(上智大学名誉教授 春原昭彦)