コラム「日本の新聞人」

「日新真事誌」を発行、日本に近代新聞を紹介した英国人 J.R.ブラック(John Reddie Black)

 幕末から明治にかけて日本に滞在し、近代新聞の成立に貢献した英国の新聞人。1826年1月スコットランドに生まれ、豪州から帰国の途中、63 年横浜に寄り日本に居住。英字紙「ジャパン・ヘラルド」、「ジャパン・ガゼット」(夕刊)、雑誌「ファー・イースト」などの編集経営に携わった。72年、東京築地で日本語紙「日新真事誌」を発刊(創刊号は旧暦で明治5年3月17日付)したが、この新聞は、記事、評論とも近代的新聞の先駆けと言うべきものだった。

 だが73年5月に井上馨、渋沢栄一の「財政改革意見書」、74年1月には板垣退助らの「民撰議院設立建白書」をいち早く報道するなど明治政府に批判的言論も掲載したため、政府は75年1月にブラックを左院御雇いにして新聞から手を引かせ、6月に改正新聞紙条例を公布して「新聞の持ち主は内国人に限る」とした上、ブラックを解雇した。怒ったブラックは 76年、上海に移って英字紙を発行するが健康を害し、79 年再び日本に戻り「ヤング・ジャパン」上下二巻を執筆し、1880(明治13)年6月11日死去した。青い目の落語家として有名になった快楽亭ブラックはその長男である。

 (ブラックの生年月日は、一般に1827年1月8日とされているが、「国際系図索引」「英国人名録伝」によると1826年1月26日であると、鈴木雄雅上智大学教授は「コミュニケーション研究」23号〈1993〉で考証しているので、これをとった。)

(上智大学名誉教授 春原昭彦)