コラム「日本の新聞人」

近代的通信社設立の功労者 古野伊之助(ふるの・いのすけ)

 大正から戦前昭和期にかけて、日本の通信事業の確立とその国際的発展に尽くした功労者。1891(明治 24)年 11 月13 日三重県富田村(現四日市市)に生まれ、小学校高等科を卒業後、上京して神田の国民英学会に通った。1909 年 AP通信東京支局に給仕として入ったが、支局長ジョン・ラッセル・ケネディに認められ、翻訳係となる。一時健康を害し帰郷するが、14(大正 3)年、再びケネディが主宰する国際通信社に入社、20 年北京支局長となり、23 年 5 月 5 日の中国・津浦線列車襲撃事件「臨城事件」をスクープするなど活躍、25年ロンドン支局長となった。

 古野は以前から、通信の自主権を強く主張していたが、岩永裕吉が 26 年ナショナル・ニュース・エージェンシーを目指して新聞聯合社を設立すると、これに協力、以後二人は国家代表通信社の確立に邁進する。30 年代に入ってAP、ロイターほか外国通信社との契約を平等互恵に改定、36(昭和 11)年には日本電報通信社と合併して、同盟通信社を設立、名実ともに日本を代表する国際通信社を出現させた。

 39 年岩永が死去、2 代目社長になるが、45年10月、敗戦で戦中の責任を問われるのを避け自発的に同盟通信社を解散、11 月に現在の共同通信社と時事通信社を創立する。古野はまた地方紙にも強い影響力を持ち、戦時中の新聞統合に指導力を発揮した。63 年新聞文化賞を受賞、1966(昭和41)年4月24日死去。

(上智大学名誉教授 春原昭彦)