コラム「日本の新聞人」

中外商業新報の名物経済記者 小汀利得(おばま・としえ)

 戦前昭和期に活躍した経済記者。経済評論家としても有名。1889(明治22)年12月3日、島根県簸川(ひかわ)郡川跡(かわと)村に生まれ、1915(大正4)年、早稲田大学政経学科を卒業後、島田三郎衆議院議長の秘書、横浜の増田貿易会社を経て、21年8月「中外商業新報」に入り、経済記者として活躍した。

 昭和に入って1927(昭和2)年12月経済部長、34 年 1 月編集局長、37年からは取締役として経営にかかわり、45年7月30日社長になって終戦を迎えた。戦時下の新聞統合で伝統ある「中外商業新報」が「日本産業経済」に変わるときは、題号を巡って当局と対立したが押し切られたため、戦争が終わるとすぐ翌46年3月かねて主張の「日本経済新聞」に改題、戦後、日本を代表する経済新聞のスタートを切った。だが47年11月、戦時中の新聞社幹部として公職追放該当者に指定され、12月2日社長を辞任した。

 50年10月追放解除後は、経済評論家として活躍、また57年7月から始まった TBS 系テレビの番組「時事放談」では、政治評論家細川隆元との辛辣な批評・対談が日曜朝の話題をさらった。その姿勢は、自由主義的立場から常に権力を批判し、国民の立場で経済を論じた。

  とくに昭和初期の金解禁では時期尚早と浜口内閣に反対、石橋湛山などとともに繰り広げたこの時の論争で、これまで株式相場の記者としか見られなかった「経済記者」の社会的地位が上がったと言われる。1972(昭和47)年5月28日没。

(上智大学名誉教授 春原昭彦)