産経新聞の創立者―大阪の新聞少年から経営者へ 前田久吉(まえだ・ひさきち)
昭和前期を代表する新聞経営者。1893(明治26)年4月22日大阪天下茶屋で生まれ、小学校を出た後、母方の祖母が経営していた新聞販売店を手伝ううち、新聞に興味を持った。1922(大正11)年7月、周辺読者を対象に週刊で「南大阪新聞」を出したところ好評で、翌年日刊にし「夕刊大阪新聞」と改題、24年には大阪市内に移り、直営販売店を設けて部数を伸ばし、大正末には10万部に達した。昭和に入り戦時色が出てくると製鉄などの資源や機械など工業関係の専門紙が必要と33(昭和8)年6月「日本工業新聞」を創刊した。
この両紙が成功し、戦時下の新聞整理、統制では「夕刊大阪新聞」が大阪の諸紙を吸収合併して 42(昭和17)年「大阪新聞」に、また「日本工業新聞」が愛知県以西の産業経済関係紙を吸収、合併して「産業経済新聞」が誕生した。大阪の新聞統合で「朝日」「毎日」とともにその経営する 2 紙が残ったわけである。
戦争が終わると前田は、公職追放で47(昭和22)年社を離れるが、50年10月、追放解除になると両社の社長に復帰した。「産業経済新聞」はこの年3月、経済紙から一般紙に転換(現「産経新聞」)、東京でも印刷を開始する。前田は翌年、いち早く専売制を実施、戦後の販売競争の中で全国紙への道を確実にした。
その後、前田は53(昭和28)年参議院議員に当選、57年には日本電波塔株式会社を設立して東京タワーを建設、58年には関西テレビ、大阪放送を創立して社長に就任するなど政界、放送界に数々の業績を残したが、反面新聞の経営は必ずしも順調とは行かず、58年その経営を水野成夫に譲り、新聞界を去った。1986(昭和61)年5月4日死去。
(上智大学名誉教授 春原昭彦)