戦前、戦後を代表する地方新聞人―熊本日日新聞の初代社長 伊豆富人(いず・とみと)
大正、昭和期の代表的地方新聞人。1888(明治21)年9月20日熊本県芦北郡日奈久(現八代市)に生まれ、1912(大正元)年9月、早稲田大学専門部政治経済科に入学した。このとき学費補助のため郷土の先輩、鳥居素川、安達謙蔵の世話で九州日日新聞の東京通信員となり15年7月、卒業とともに論説委員として入社する。
17年に鳥居の招きで東京朝日新聞に移るが、鳥居が「白虹筆禍事件」で退社したため、鳥居に殉じて20年退社、以後、大正日日新聞、中外商業新報(現日経)に務めたが、22 年、野村秀雄の推薦で再び東京朝日新聞に復社し、憲政会担当として活躍した。
だが25年安達謙蔵が逓信大臣となりその秘書官に請われたため退社、その第一線記者生活は終わった。以後、安達を支え32(昭和7)年からは衆議院議員となり46年まで議員を務めるとともに、九州日日新聞副社長となるが、これは山田珠一から後事を託されたもので40年に社長、42年には新聞統合で創刊した熊本日日新聞の初代社長となった。
戦後は政界と決別、47年7月公職追放令により社を離れるが、51年9月追放解除により社長に復帰、53年にはラジオ熊本を設立して社長(59年にテレビを開局して熊本放送と改称)、会長を務めるなど、戦後の熊本の新聞・放送界を主導した。
特に54年元旦の社説で自ら提唱した「道徳再建運動」は各界の知識人、有識者の賞賛と賛同を得た。59年、地方新聞人として初の新聞文化賞を受賞、1978(昭和53)年4月13日没。一生ペンをおかず、情義に厚い人だった。
(上智大学名誉教授 春原昭彦)