京都から戦後の新聞界を牽引したリーダー 白石古京(しらいし・こきょう)
戦後昭和を代表する新聞人。1898(明治31)年3月18日奈良県五条市で生まれ、東京帝大経済学部を卒業、1923(大正12)年12月京都日日新聞社に入り、経済部長、編集局長を務めたが、山根文雄社長急逝後の39(昭和14)年6月退社、戦時中は日本絹人絹織物統制会社に勤める。
45年3月、京都新聞(京都日日と日出新聞が42年に合併)の後川晴之助に招かれ、主幹として復社、翌年3月社長に就任、以後81年まで京都新聞の経営に当たり、日本を代表する有力地方紙に育て上げた。
同時に日本新聞協会・共同通信社の理事を長く務め、中央新聞界でも大きな功績を残し、統制時代には「新聞及出版用紙割当委員会」の委員(地方紙代表)を務めた。自由競争時代に入り、販売界が拡販競争・景品合戦などで対立、さらには全国紙の共同通信社脱退などで、新聞界が混乱に陥った時など、紛争の解決、地方紙の擁護に抜群の力を発揮した。
51年8月、サンフランシスコの対日講和条約調印取材のため渡米、以後、国際新聞団体の会議に出席するなど国際交流を深めていたが、68年5月には国際新聞発行者協会(FIEJ)総会を京都で開催、わが国新聞界の国際的地位の向上に貢献した。
71年6月地方紙から初の日本新聞協会会長に選任され、72年12月にはかねてから設立に尽力してきたプレスの殿堂「日本プレスセンター」の初代社長に就任、これらの功績により77年、新聞文化賞を受賞している。51年、京都放送設立(社長)、日本民間放送連盟の役員を務めるなど放送界にも功績は大きい。1991(平成3)年1月17日没。
(上智大学名誉教授 春原昭彦)