コラム「日本の新聞人」

戦前、時事新報で活躍した名記者 後藤武男(ごとう・たけお)

 大正から昭和初期に活躍した代表的新聞記者。1893(明治26)年7月2 6日、 東京 ・ 浅 草で 生 ま れ 、1916(大正5)年3月、慶応義塾大学政治学科を卒業して時事新報社政治部に入社した。

 19年4月、留学生として米国へ渡り、語学勉強のかたわら、ユタ日報で新聞製作を手伝った後、10月特派員としてワシントンで開催の第1回国際労働会議(ILO)を取材、以後ニューヨークに移る。21年1月帰国するが、3月に皇太子(後の昭和天皇)外遊の同行取材を命ぜられ、欧州各地を回った後、ロンドン特派員となる。

 11月ワシントンで海軍軍縮会議が開かれると、海軍記者として著名な伊藤正徳とともにワシントンに派遣された。この時、時事新報は「日英 同 盟の 廃棄 と4カ 国協 定成 立」(夕刊12月1日)の国際的大スクープを放つが、これは徳川家達全権(貴族院議長)から情報を得たもので貴族院担当として、その信を得ていた功績といえよう。22年1月帰国、6月に一時退社して鎌田栄吉文部大臣(元・慶応義塾塾長)の秘書官となったが、内閣交代で23年9月辞任、復社して政治部副部長、政治部長を歴任する。

  昭和に入ると時事新報では社長の交代が相次ぐ。32(昭和7)年鐘紡の武藤山治の経営に移ると取締役監理部長としてその経営を助けたが、34年3月、武藤が暴漢に襲われ倒れると、翌年退社、以後、実業界に席をおく傍ら政治評論家として健筆をふるった。

 戦後は父祖の郷里茨城で、戦災に遭い復興に人を求めていた茨城新聞の経営を託され、47年3月社長に就任、資本金を増資、社屋再建をなしとげ新聞発行を軌道に乗せたほか、62年9月には茨城放送を設立(初代社長)するなど新聞・放送界に貢献した。1974(昭和49)年12月16日没。

(上智大学名誉教授 春原昭彦)