コラム「日本の新聞人」

日本の英字紙の祖―ジャパンタイムズ創刊の功労者 頭本元貞(ずもと・もとさだ)

 日本人の手による初の英字新聞「ジャパンタイムズ」創刊の功労者で、国際ジャーナリストとしても有名。

 文久2年12月4日(1863年1月23日)、鳥取県日野郡黒坂村に生まれ、1884(明治17)年札幌農学校を卒業した。この時“日本の国情を世界に知らせることが将来の希望”と知った米人教師のJ.C.カッターからF.ブリンクリーを紹介され、その経営する「ジャパン・メール」の記者となった。そこで伊藤博文の目にとまり、内閣の属官となってその通訳や翻訳を助けていたが、96(明治29)年8月職を辞し、伊藤の援助で新聞経営視察に各国を回り翌97年1月帰国、新聞事業に乗り出すことになった。

 この時社長となったのは、福沢諭吉の親戚で同郷の山田季治。日本郵船を退社したばかりで、頭本は主筆、ほかに鳥取県人が多く集まった。97(明治30)年3月22日の「ジャパンタイムズ」創刊号の署名入り社説には、外国人の内地雑居を目前にして日本語の壁のある欧米人と日本人の意思疎通を図るため、という意図が明確に示されている。

 1906(明治39)年2月、伊藤が韓国統監になると京城(現ソウル)に赴き、英国人発行の「Seoul Press」を買収して社長兼主筆となり、09年には、伊藤の命によりニューヨークへ行き、10年、現地で「The OrientalEconomic Review」を発行して日本紹介に努めた。翌11(明治44)年1月「ジャパンタイムズ」第2代の社長となったが、大正に入り「国際通信社」を設立したJ.R.ケネディが「ジャパンタイムズ」の社長を兼ねることになったため、14(大正3)年4月退職。以後、「Herald of Asia」を設立、英語雑誌などを出版、自身も幾多の英語教育用の本を書いているほか、アジア、太平洋における日本の立場の発言を続けた。

 1943(昭和18)年2月15日没。

(上智大学名誉教授 春原昭彦)