尾身茂さん:「共創的なコミュニケーション」を目指す
リスクコミュニケーションの大切さを初期に提言

2024.04.23 企画展情報

公益財団法人結核予防会理事長
元新型コロナウイルス感染症対策分科会会長
尾身茂さんインタビュー


企画展「新型コロナと情報とわたしたちⅡ」開催に当たって、尾身茂さん(結核予防会理事長、元新型コロナウイルス感染症対策分科会会長)にインタビューしました。コロナ禍の最中、何度も「専門家会議の会長」として記者会見などに登場した立場から、情報発信の際に心掛けたことや、政府と専門家の役割の違い、「リスクコミュニケーション」の大切さなどについてお話しいただきました。


2023年9月に出版した『1100日間の葛藤――新型コロナ・パンデミック、専門家たちの記録』の中で申し上げたように、私たち専門家は、今回国の政策作成に際して様々な助言を行った。そうした役割を担った者として政府に提出した100以上の提言の内容、その根拠、また何に悩んだかなどを記録に残しておくことが責任だと思った。その中で強調したかったことの一つが、情報の伝達の難しさだ。

専門家が前面に出ざるを得なかった背景

これまでの専門家と違い、今回のパンデミックで私たち専門家は、首相との記者会見に同席したり、国会に呼ばれたりするなど、かなり前面に出ざるを得なかった。その背景は何だったのか?

2020年1~2月頃、政府はクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号内の感染対応に奔走していた。私たち専門家はその頃既に、新型コロナの極めて重要な特徴をある程度分かっていた。「無症状者」あるいは「潜伏期内」の人でも他の人に二次感染させる病気だということだ。

一方、2003年に流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)も、実は同じコロナウイルスによる感染だったが、これは症状が出てから1~2日目になって初めて他人に二次感染させる疾患だった。当時私はWHO(世界保健機関)にいてSARS対策に深く関わっていたが、WHOから加盟国に要請したことは、症状が出た人をなるべく早く隔離し、他の人との接触を断つことだった。この対策は極めて有効で、結局SARSはたった半年で制圧された。

ところが今回のコロナは無症状の人でも二次感染させるしたたかなウイルスだ。ゼロコロナ、制圧は極めて難しく、長丁場になると私たちは認識していた。また、リスクコミュニケーションの重要さについても強い認識を持っていた。

このため私たちは2020年2月13日に、そうした認識を政府から一般市民に伝えてもらうべく、脇田隆字・国立感染症研究所所長、岡部信彦・川崎市健康安全研究所所長、武藤香織・東京大学医科学研究所公共政策研究分野教授など専門家約10人が「非公式提言」を政府に提出した。

しかし、その後10日たっても政府はクルーズ船内の感染対応に手一杯で、政府から国民への発信はなかった。2月24日には第3回新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が開かれることになっていたので、前日の23日に専門家10人ほどが集まり、翌日の会議に私たちの「正式な見解」を提出することにした。

普通、審議会では、政府から諮問されたことに専門家が答えるのが一般的だ。今回も、2月の中旬ごろまでは「クルーズ船の乗客をどうすべきか」「検査できる数が限られていたPCRは、4日待って症状が出たら行うということででよいか」といった質問に答えることしか我々にはできなかった。

しかし、聞かれたことに答えるだけのこの状況に専門家の多くは強いフラストレーションを抱き始めていた。病気の特徴をどう考えているのか、どんな対策が求められるかなど、サイエンティストとしての判断や知り得たことを言わなければ専門家の役割を果たせない、歴史の審判に堪えられないと思った。

こうした経緯を経て、2月24日、第3回専門家会議で私たちの「正式見解」を政府に提出した。しかしこのことがNHKに伝わり、午後7時のニュースで「正式見解」の説明を求められた。さらに2時間後の9時に厚生労働省での記者会見で同様のことを説明するよう他のメディア及び厚生労働省からも求められた。この日が契機となり、会議で提言書を出すたびに記者会見で説明することが定例化した。以上が私たち専門家が前面に出ざるを得なかった背景である。

さらに、安倍首相や菅首相(いずれも当時)の会見にも同席した。国会にも呼ばれて質問に答えた。こうしたことから、あたかも「尾身たち専門家がすべて決めてるんじゃないか」という印象を一部持たれることもあった。

専門家の役割、政府の役割

一般市民は当然、未知の病気には不安になる。率直に、どこまでが分かっていて、どこまでが分かっていないかを説明することが国に求められる。こうしたリスクコミュニケーションは、基本的には国がやることだ。我々は、お手伝いはするけれども、最終的には選挙で選ばれた政治家が、我々の意見も必要に応じて取り入れて国民に語りかけることが求められると思う。

専門家の役割は、状況を分析して、それに基づいて採るべき対策を提言すること。それ以上でも以下でもない。「どういうところが感染リスクが高いか、それを防ぐにはどんなことをしたらいいのか」などを政府に提言することだ。また、専門家は、厳密な意味でエビデンスがなくても専門家としての意見(エキスパートオピニオン)を述べることも求められる。

一方、政府の役割で一番大事なのは、専門家の提言を採用するかどうか決定することだ。全ての提言を採用する必要はない。政府には政府の見方がある。政府と専門家の意見が違うことは、時々はあってしかるべきだ。その時、政府がどう対応するかが極めて重要である。例えば、東京オリンピック・パラリンピックの開催やGoToキャンペーンの慎重な実施などについては両者の考えが違った。専門家の意見を採用しないならば、「なぜ採用しないのか」「どういう対案があるのか」など、政府の最終判断の根拠を示すことがリーダーとしての政府に求められる。そうでなければ市民は混乱する。

ちなみに、ここで申し上げた政府・専門家それぞれの役割については、この両者のあるべき姿を研究してる研究者たちの考え方とも一致している。

このような役割分担が明確でなかった中で、私たち専門家が最も時間とエネルギーを費やしたのが、政府への提言書の作成であった。記者会見や国会に出た時間はそれに比べればほんの一部にすぎなかった。結局、我々は3年間に100以上の提言書を出すことになった。提言内容は、行動変容のこと、医療体制のこと、検査キャパシティーのこと、ワクチンのことなど多岐にわたった。

必ずしも正確なデータが存在しないという制約の中で、歴史の審判に堪えられるような合理的で納得感のある提言書にするために、根拠となるデータなどをできるだけ示してきた。

もちろん我々の提言書が完璧だとは思わない。後で見れば結果的に、「ここの部分はもっとデータがあったんじゃないか」「このデータからこの結論を出すのは適切なのか?」という議論や批判はありえる。私たちはそうした議論、コメントあるいは批判を期待した。なぜならばそうして科学は進むからだ。

根拠が伝わらないもどかしさ

しかし、そうした提言の根拠やデータなどの議論はほとんどされず、提言書の結論の一部だけが取り上げられたことが多かった。例えば、飲食店の時短営業やGoToキャンペーンの慎重な実施を政府に要請した背景には、「飲食を介して、また、若い人の移動により感染が各地に広がっている」ということが疫学情報の分析で分かってきたためだ。しかも、こうした提言の根拠については、記者会見でも説明し、ホームページにもデータを載せた。

しかし、「飲食業者をいじめているのではないか」という言説は関心を集めたが、提言の根拠等については議論されなかった。「飲食業界などに経済的な支援をすべきだ」と政府に提案したが、それも伝わらなかった。

「医療や検査の逼迫」理解されず、体制強化の提言も知られず

2020年2月16日、専門家会議の初会合で「一般の人は37.5度以上の発熱が4日以上続く場合、高齢者や基礎疾患のある人は2日続けば受診」という案が国から示され、専門家の意見を求められた。これに対し私たち専門家は、当時、検査キャパシティーが極めて不十分なことが明らかだったので、国の提案をこの時点では認めた。このことが、専門家が検査を抑制しているのではないかという印象につながったかもしれない。しかし、実際には私たちは2020年2月10日のアドバイザリーボードから2021年8月5日の第13回基本的対処方針分科会まで15回にわたって検査キャパシティーの強化を提言してきた。実際、5月8日には、「4日間」の目安は息苦しさがある人などは「すぐに相談」と改定されたが、このこともほとんど社会に伝わらなかった。

その後も、検査については人々の関心が高く、無症状の人も感染させるので地域の人すべてにPCR検査を実施させるべきという意見も聞こえた。しかし、この方法は実際の検査キャパシティーが限られていたこと、また、本人の意思に関係なく住民全体の検査をする必要があるため日本の実態にはそぐわない。仮に、広範囲に無症状者に検査しても次の日に感染するかもしれないので、この大規模な検査を定期的に繰り返す必要が出てくるので、実際的ではない。

こうした無症状者に対する検査について、私たちは専門家としての意見を述べる必要性を感じてきた。このため、2020年7月16日に、検査のあり方に対する戦略を出した。「症状がある人」に対して検査するのは当然だが、無症状の人を二つのカテゴリーに分けた。(A)検査すれば陽性率がかなり高いと考えられる集団と、(B)その確率が極めて低いと考えられる集団だ。

Aは、例えば濃厚接触者や夜の街で働く人で、この人たちには検査を積極的に実施すべきとした。なぜならば、そうした人に検査をすることで実効再生産数が減少することが理論的にも経験的にも分かっていたからだ。このため、この検査は公費負担すべきと提案した。

一方Bは、例えば仕事などで地方や外国を訪問する人たちである。この人たちに検査をすることは個人の安心につながるが、事前の陽性率が低いので実際に実効再生産数の提言にはむすびつかないことが理論的にも実際的にも分かっていた。検査キャパシティーがその時点では限られていたので、この検査については自己負担とすることを提案した。

この検査戦略については記者会見でも随分丁寧に説明したが、当時社会の関心がGoToキャンペーンに集中していたのでこの検査戦略についての報道はかなり限定的だった。

また、20年5月にもそれまでの感染対策を評価する「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」を出したが、その記者会見では、専門家会議の議事録について、我々専門家は、公開しても構わないと発言したにもかかわらず、多くの時間が議事録の有無をめぐる問題に費やされ、提言の内容についてはほとんど関心が示されなかった。

Go Toキャンペーンや東京オリンピックに関しても、根拠があって提言したが、その根拠が伝わらなかった。

WHOにはリスクコミュニケーションのアドバイザーとして、ベトナム戦争報道を経験したジャーナリスト出身者がいた。そのアドバイザーから、「ジャーナリズムは三つのDに関心がある」と言われた。Disaster(災害)、Drama(ドラマ)、Dichotomy(二項対立)だ。

今回でいえば、100以上の提言のほとんどは政府に採用されたが、そのことは書かれない。オリンピックやGoToのように、政府と専門家の意見が対立していると記事になり、我々が飲食店をいじめてるみたいにみえて、ドラマになる。

また、一次情報をチェックしないでの報道も度々あった。実際、あるテレビ番組は「専門家は検査を抑制している」と報道したので、私は「検査キャパシティーの強化は何度も提案している」と文書で伝えたが、訂正はなかった。私たちの提言など一次情報をチェックしないでの報道だったのだと思われる。

また、パンデミック初期、クルーズ船内で感染がまん延していた時、「船の中の感染対策がまったくなってない」という報道が毎日のように繰り返された。

その当時、2人のジャーナリストがこの船の中の感染対策につき、私の意見を求めに来た。船中での隔離が実施された前後の感染発生の状況のデータをもとに、感染の多くは隔離前に起きていたことを説明しても全く記事にならなかった。

リスクコミュニケーションの重要性

危機においては、人々は不安を抱える。したがってメッセージをどのように出すかが極めて重要になる。どういうデータをどういう言い方で伝えればいいか。例えば当時、ウイルスの特徴であって、若い人の責任ではまったくないが、事実として、若い人の移動で感染が広がっていたことが分かっていた。これを適切に発信しないと若い人たちを傷つけてしまう。したがって私たちは言葉に随分気をつけて発信したつもりであったが、若い人たちから「我々のせいにするのか」という批判が出た。情報発信の難しさをつくづく感じた。これからは専門家あるいは政府の中にリスクコミュニケーションのプロを育てることは必要だ。

インスタグラムでも発信

今回のパンデミックにおいても、国民の理解を深めるために、ジャーナリズムが果たした役割は極めて大きかったと思う。今回、日本の死者数が他のOECD(経済協力開発機構)諸国より圧倒的に少なかった理由の一つが、マスコミによる情報効果があったと思う。緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が発出される前から、ある程度マスメディアからの感染者数や医療逼迫に関する情報が流れたため、人々は自主的に行動変容をしたことも分かっている。

一方、若い人たちの多くが新聞、テレビなどを見ないため、我々専門家たちの発信が彼らに伝わっていないということがパンデミック2年目くらいから明らかになってきた。このため、ICTに詳しい知人らの提案で2021年8月、インスタグラムページ(#ねえねえ尾身さん)を開設した。70万人ぐらいが見てくれた。

私が理事長を務めていたJCHO(独立行政法人地域医療機能推進機構)病院に対して「ぼったくり」という批判が出たこともあった。都内の五つの病院のコロナ患者用病床の使用率は2021年8月7日時点で平均7割程度で、中には9割を超える病院もあった。ところが、そのうちの一つの病院だけが他県へ看護師を派遣していたため看護師数が足りなくベッドの使用率が他の病院よりも低かった。この病院だけがピックアップされ、JCHOぼったくりという批判が出た。実はJCHOは、都内の一病院を、国の要請で我が国では極めて例外的だったが、病院全体をコロナ専用病院としたこともあった。

インスタグラムだけでなく、ニコニコ動画にも安倍首相と一緒に出たことが何回かあるが、それらは、「尾身さんバカ」「尾身さんいいぞ」などのコメントが話しているそばから出てくる。私たちは完璧じゃないから、合理的な批判は大歓迎だ。だが、根拠がまったくない批判もかなりあったが、それらは一部の人が何度も繰り返していたことが後で分かった。SNSをこれからどう活用するかは、社会全体の課題だと思う。

日本のような民主国家では、もちろん個人の自由が尊重されなければならない。しかし、百年に一度と言っていいぐらいの危機においては、自由は認めつつも、対策の実効性を上げるためには、ウイルスの特徴や採るべき対策の大筋について共通理解が求められる。しかし、今回のように危機が長期間続くと不安や不満を軽減するために主に自分と立場や価値観の近い人たちの意見交換や情報共有をし、自分とは異なる意見に耳を貸さなくなる傾向が出てきてしまう。SNSが普及したことでそのような傾向がさらに強まったかもしれない。

対話が理解生む

「飲食店いじめ」と言われていた頃、NHKの生番組に呼ばれたことがある。ぶっつけ本番の生放送で冒頭から、飲食店の人が、専門家は自分たちのことを理解していない、またなぜ飲食店をターゲットにするのかと強い口調で述べられた。これに対して私は、疫学情報を見ると飲食を介して感染が拡がったということが明らかになってきた。さらに感染対策に取り組む飲食店が報われるようなコンセンサスを作っていくべきだという趣旨の発言をした。そのように丁寧に説明していくと雰囲気は徐々に変わってきた。

人々はそれぞれの立場や価値観で様々なことを考え、信じる。

科学的に合理的だと思って言っても必ずしもすべての人に理解され受け入れられるとは限らない。リスクコミュニケーションの難しさだ。この難しさを越えるための特効薬はないと思う。完璧な人は誰もいないという認識が必要で、違う意見の背景は何かということを含め、お互いに理解し合いながらリスクコミュニケーション、つまり共創的な対話が必要なのではないか。

(2024年3月7日インタビュー)